A Critical Thinking Reed

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勧善懲悪と「公正世界仮説」

最近注目したニュースを2本ほど。

abematimes.com


headlines.yahoo.co.jp

 

どちらも世間を揺るがせた大ニュースである。SNSからメディアまで様々な媒体で広く取り上げられ、大規模なバッシングが起こった。

それぞれの記事から気になった部分を一部引用してみたい。

小川彩佳アナウンサーは「もちろん客観的な事実に基づいて報じる心がけをしていたつもりだが、最初にタックルをした選手が会見を開いた時の印象が鮮烈だったし、遅れるようにして開かれた内田前監督と井上前コーチの会見の見え方、語られた言葉が多くの対比を感じさせるようなものであったために、そこに引っ張られてしまっていた部分があったかもしれない。背景には複雑なものがあったかもしれないが、シンプルな勧善懲悪の構図で報じてしまっていた部分があったのではないか、ということについは個人的に否定できない。

 

「元監督の指示はなかった」日大アメフト部の悪質タックル事件で、警視庁が異なる判断 世論を煽ったメディアの責任も | AbemaTIMES

 

「ネットには、謝罪するかしないかということ自体が一人歩きする悪いところがあります。『謝ったら終了』みたいな言い方もある。その反対には『謝らせたら勝ち』という感覚があるんですね。でも、謝罪するかしないかだけを捉えて話が進んでいくのは、重要なことではありません。そうではなく、なぜそれがダメなのかを丁寧に考える必要がある」

 

BTS問題で専門家が指摘 「ネットには謝罪するか・しないかだけが一人歩きする悪い傾向がある」(ハフポスト日本版) - Yahoo!ニュース

 

大規模なバッシングが起こる事件では、大抵の場合「悪」が生み出され、十分な検討もされないままで、ひたすらに責めるという傾向が強い。

もちろんそこで標的となっている「悪」にも非があるのは否めないが、単純な勧善懲悪の構図を作ることは、複雑な背景をうやむやにしてしまうリスクが高く、十分な教訓帰納を果たすことができないため、あまり望ましくないように感じる。

 

そもそも、なぜ人は「勧善懲悪」に走るのか。それを「公正世界仮説(just-world hypothesis)」の観点から少し考えてみた。

 

目次

 

勧善懲悪とは

善事を勧め、悪事を懲らすこと。特に、小説・芝居などで、善玉が最後には栄え、悪玉は滅びるという筋書きによって示される、道徳的な見解にいう。勧懲。

出典:デジタル大辞泉小学館

簡単に言えばアンパンマンの世界である。正義の味方(善玉)であるアンパンマンが、悪玉であるバイキンマンをやっつける。「最後に必ず正義(善)は勝つ。」という筋書き、これが勧善懲悪である。

これが現実世界にもあるだろうと考えるのが次に紹介する「公正世界仮説」である。

 

公正世界仮説とは

Wikipediaにはこのように書かれている。

公正世界仮説(こうせいせかいかせつ、just-world hypothesis)または公正世界誤謬(こうせいせかいごびゅう、just-world fallacy)とは、この世界は人間の行いに対して公正な結果が返ってくる公正世界(just-world)である、と考える認知バイアス、もしくは仮説である。

公正世界仮説 - Wikipedia

 

簡単に言えば「自業自得」「因果応報」の世界である。悪いことをしたら罰を受け、良いことをしたらいいことが待っている。誰もが持っている信念だろう。これの何が問題なのか。これまでの研究の多くで指摘されているのは「被害者(犠牲者)非難」の問題である。ここでは、性暴力を例に少しだけこの問題を指摘しておきたい。

 

公正世界仮説からみる痴漢被害者への非難

痴漢被害が問題になる時、被害者側の落ち度を責められることがある。「渋谷ハロウィン」などが好例だろう。(→渋谷ハロウィン痴漢被害者は自己責任なのか | 災害・事件・裁判 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

痴漢の被害にあう(悪いことをされる)人は、公正世界仮説の観点から考えると、何か悪いことをしていなければならなくなる。ここで例えば「痴漢されるような服を着ていたのが悪い」とすることで、公正世界的な信念を守ることができる。痴漢被害者を責める論理は、このような発想から生まれる「自己責任」論の一種だろう。

少し横道にそれるが、痴漢を引き起こす大きな原因は性欲だけではないと考えられている。以下で紹介する記事ではそれぞれ「ストレス」「支配欲求」が指摘されている。痴漢も「性欲」のみで語れる単純な問題ではないことがお分かりいただけるかと思う。

◆参考

全男性が持っている「痴漢トリガー」とは何か | 通勤電車 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

性暴力を「ささいなこと」にする レイプ・カルチャーとは何か

 

「悪いこと」を決める

被害者非難の問題は「悪いことをされるということは、(被害者が)悪いことをしているに違いない」という考えに基づくものだ。対して「公正世界仮説」の元のかたちを考えれば「悪いことをしたら罰が与えられるべきだ」となり、至極ごもっともなように思われる。しかしここでも大きな問題が生じる。誰が「悪いこと」かを決めるのかである。日大タックル問題にせよ、BTS問題にせよ、情報量には限りがあり、表面に見えてきた「明らかに悪いこと」にばかり目を向けて「悪者」が作られたとは言えないだろうか。ここを見落としてはならない。

例えばタックル問題では、実際にタックルを行った20歳の青年へのバッシングは少なかったと思う。これが、もし「監督による指示」という文脈がなければと考えるだけで恐ろしい。

ここは本筋ではないため深くは書かないが「悪」は公認されてはじめて「悪」になるということを忘れてはならない。

 

公正世界仮説の功罪

前節で「悪」を公認することの話を書いた。これを踏まえると公正世界仮説に新たな問題が見えてくる。何かが起こった時に明らかな「悪」が決まらないと公正世界信念を守れないということである。言い換えれば「世界は公正であるから何かしらの問題が起こったら必ず悪がいる」これも公正世界信念から導き出せる考え方だろう。もし真実が非常に複雑であり、明確な悪と断定することが難しいとしたら...公正世界信念は保てない。

このような考えに立てば、大きな事件が起こった時に「悪」を断定的に決めることとその「悪」に対する過度なバッシングに一つの説明をつけられると思う。悪を作りあげ、罪を糾弾する(罰を与える)ことで公正世界は守られる。たとえ真実を覆い隠してでも。

 

さいごに

悪を決めるときに何が最も重視されるのか。これは私見だが「感情」ではないかと思う。大きくバッシングを集めるニュースは感情的に駆り立てられるものが多いように思う。このような事件ほど冷静な検証がなされず犯人探しで終わってしまうことが多いように感じている。ここはもう少し検証を進めていきたい。

 

本稿では「勧善懲悪」の背後にある公正世界仮説について書いてみた。

何か大きな事件が起こった時に「公正世界信念にとらわれていないか」「感情的に見すぎていないか」ということを意識しておくことが重要だろう。

公正世界信念を守ることは大切かもしれないがそれだけでは再び同じことが繰り返されてしまうリスクがある。教訓を得ていくためには、単なる勧善懲悪に終わらず深く検証していく姿勢が求められるのだ。

 

*本稿は紹介した二つの事件を肯定するようなものではないことを付記しておきます。